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九鬼神伝天真兵とは、その昔、宮中の神祇を司った中臣氏(藤原氏)を祖とする九鬼家に伝わる神伝の武術であり、「九鬼神流」としてその名が知られている。所謂「天真の伝」を踏まえるが故に、天真兵法と称するものである。
流祖は熊野別当家道有の子として生まれた九鬼薬師丸髏^。大職冠藤原鎌足より数えて第三十六代の末裔である。南北朝の戦いに於いて、後醍醐天皇の窮地を御救い奉った功を賞され九鬼姓を賜った。この時に家伝の武術(藤原夢想流と伝えられる)と神法秘伝および密教秘法を以て編み出されたのが当流の基を成している。
九鬼家は、戦国時代に熊野水軍(九鬼水軍)として名を轟かせた鳥羽城主の九鬼嘉隆公を輩出し、江戸時代には綾部藩と三田藩の大名と成り、近世に至って播州加古川高御位神宮に於いて皇道宣揚会を発足、中臣神道・熊野修験道と共に九鬼家の武術を振興した。現在は紀州熊野本宮大社宮司家であられる。
九鬼神伝天真兵法は、この九鬼家を宗家と仰ぎ、師範家において古式に則り現今に継承されている。體術(柔術)・棒術(六尺棒・半棒・短棒)・劔法・薙刀・鎗術・投剱術・鉄板投術・鉄扇術などを伝える総合武術であり、更に軍略や多くの秘伝を有している。これらは、九鬼家所伝の中臣神道・熊野修験道と密接な関連を有しており、その深奥なる理法は人類により築かれた極めて貴重な叡智の結晶という可きである。
ところが、南朝方の武藝であることや、また九鬼嘉隆公が西軍に属していたことによって、九鬼家が綾部に移封された江戸時代には徳川家に遠慮して表立った動きを憚(はばか)り、一時、宗家である九鬼家を離れ、師範家において秘密裏に伝えられてきたとう経緯があり、当に幻の武藝と謂わねばならない。
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今日では、此の流名を知る人も多くなってきた。然し、その驚くべき深奥なる秘伝を真に知る人が、どれほどいるであろうか。
九鬼家の神伝の保存顕彰に努め、九鬼神流を伝えている九鬼神伝保存顕彰会では、これまで師範家において守り続けてきた伝統的な伝授形式を今後も貫くことは、宗家・九鬼家に対する責務であり、また、日本の伝統文化が失われつつある現代において却って重要であると考え、敢えて門戸を拡げなかった向きがあったことは否めないであろう。
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しかし、真の武藝を真摯に求める者には道が開かれるべきである。そのような道心の有る人に対して、何とか門戸を広げたいという気持ちから、あくまでも伝統を遵守しつつ、九鬼家所伝の神伝を挙揚・顕彰することを専らの趣旨として、古来他流でもしばしば行われた出稽古の形式を用いることとして、満を持して門外者を受け入れる伝習会の開催に踏み切ることとなった。これが伝習会の開催に至る経緯とその趣旨である。
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九鬼神伝保存顕彰会による伝習会は、このように、日頃、同流派に対して興味をもちつつも、遠隔地に住しているなどで、なかなか稽古に参加する条件がそろわずにいる有志を対象として行われている。年に2-3回ほどの割合で、そのときの要望に応じて各地で行っていく。これまでの参加者には、海外からの参加者もおられ、一流を担う師範や上位クラスの方も少なくない。しかし、もちろん真摯に古道を希求しておられる方であれば、初心者は寧ろ大歓迎である。 |
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伝習会への参加には、事前に個人のプロフィールを添えた申し込みと、その後の緊密な連絡を必要とする。現在において他流門派に属している方は、参加を申し込む前に、必ず御自分の師匠、および当該責任者や周囲の方々と充分に相談の上、許可・同意を得ていることが参加の条件となる。これは御自分の師や所属の流儀に対する最低限の礼として心得ていただきたい。また、如何なる武歴を有しておられる方であっても、当流においては伝授階梯の最も初歩より始めていただく。これは日本古来の礼であると共に、流儀を正しく伝えていく為のならわしなので、御諒承願う次第である。 |
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